□ 夏の桜 □

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09:とある少年の生きる資格

 にわかに飛び出してきた陰に衝突し、僕は前のめりに転んでしまった。
 背後ではワカサ ダイゴロウの高笑いが聞こえる。
 口を裂けんばかりにゆがめて、まるで夜闇を駆け抜ける魔王のように声を轟かせた。
「コウジ? コウジなんか?」
 僕は慌てて立ち上がって逃げ出そうとしたけれど、ちょうど良く後ろからとび蹴りが来て地面にうつぶせに倒れてしまった。

 僕はその瞬間、もう死んだな、と思った。
 ワカサ ダイゴロウにコウジと呼ばれる人間はうちのクラスにはヤマシロ コウジのほかいない。
 ヤマシロ コウジはワカサ ダイゴロウのように口うるさく罵声を飛ばすようなやつではなかったけれど、僕の顔を見るとすぐに眉根をひそめて無言で殴ったり蹴ったりするタイプだった。
おそらく僕に八つ当たりしているんだろう。
いつも彼は無表情で僕に暴力を振った。
もしかしたら、ワカサ ダイゴロウよりずっとずっと厄介な人間なのかもしれない。


 だけど今はこうして、いじめっ子不良グループのツートップが集結してしまった。
 これは何を意味しているか?
 もちろん、僕の死だ。
 嘘だろう?とは思いたかったけれど、不思議と彼らなら躊躇なく僕を殺すと思った。
「……ああ」
 元々口数の多いほうではないヤマシロ コウジが、(暗闇だから正確にはよく見えないけれど)目の下まで来ている前髪の隙間から鋭い眼光を飛ばしたように見えた。
「おっしナイスだコウジ! そいつなあ、俺の顔見てすーぐ逃げよるん、足おっそいくせになぁー。ちょうどええ、お前いっつもこいつのこと殺したいほどウザいっちゅーてたやろ? お前に譲るわ」
 僕の人権はまるで人間のためだけに屠殺される家畜か何かのように無視され(そもそもクラスメート同士を殺しあいさせるような制度がある時点で、この国に人権という言葉が存在するとは思えないけれど)、そのままワカサ ダイゴロウとヤマシロ コウジの会話は続いた。

「……いや、いらねえよ」
「どないしたん、コウジらしくない」
「はぁ? お前は俺の何を知ってるって言うんだよ」
 僕は来たるべき屠殺の瞬間を待つ豚の気分だった。
 きっと豚は自分が殺されるのは分かるだろうけれど、まさかそのあと自分の肉を食われるだなんてことは夢にも思わないだろう。
 だけど、ねえ、豚さん、君は幸せだ。
 死してもなお、誰かの血や骨になるんだよ?
 僕はここで殺されても、君のように誰かのためになることは出来ない。
 ああ、僕は人のために死ぬことも出来ない――

 バァンッという音が2,3度したのはちょうど僕がそういった恐怖に見舞われていたときだった。
 うつぶせになって頭を抱えていたままだった体勢から、音のしたほうへと本能的に振り向く。
 するとヤマシロ コウジが左手に懐中電灯、右手に……拳銃、そう、拳銃を握っていたのだ!


 彼の懐中電灯の光がむくほうを恐る恐る見た。
 光の果てには、目を大きく見開き立ちすくむワカサ ダイゴロウの姿があって……そして、その短髪のため開かれた額には不釣合いな穴が開いていたが。
「ひゃああああ!!」
 バタン、と不穏な音を立てて『それ』は倒れた。
 僕はその姿がなくなってから改めて、そこにあったものが何か考えなおした。
 するとどんどん手の先や足の先から血の気が引いていくのが明らかに感じられた。

 ああ、ワカサ ダイゴロウはヤマシロコウジに頭を打たれて死んだ……。

 さっきまで僕を殺そうとしていたり、まるで豚を屠殺するかのようにもてあそんでいた人間が、一瞬のうちに、死んだ……!
「うるせえなあ……ちょっと黙ってろよ、クズ」
 ヤマシロ コウジが今度は懐中電灯の光をこちらに当てて、いかにも不機嫌そうな顔を向けた。
「お前……なんで殺したの? って聞きたそうな顔してんなァ」
 驚きはしたのだけど、涙は不思議と出なかった。
 解放感?
 僕を苛めたリーダー的存在のワカサ ダイゴロウが死んだ。
 それは僕にとって、苛める人間が一人減ったという事であって、僕が被害を受ける回数が減ったという事――違う、そんなことなんてどうでもいい!苛められるとか、苛められないとか、そんなの生きていて初めて成立する事象だ!死んだら何も残らない!
 ……だとしたら、死ぬことが、解放への一歩?
 僕の脳裏にイジメドキュメンタリーの映像が蘇ってきた。
 いじめられて自殺した人間は、誰もがイジメから解放されることを望んで死を選んだ。僕みたいにいじめる人間の死を望む人たちは少なくともそのドキュメンタリーには出てこなかった。

 ああ、人々が求めたのは何?
 安息の地、ニルバーナ、桃源郷、ユートピア?
 ああ、エゴイズムで形成されている僕が求めたのは何?
 ワカサ ダイゴロウを筆頭とするいじめグループの死と、僕の生だ!!


「あいつさぁ、自分だけが威張ってて正直ウザかったんだよな。ここで会えたのも何かの縁。迷いなんてなかったね」
 着崩された制服のポケットに手を突っ込んでヤマシロ コウジはやる気なさそうに首を傾ける。
 前髪がさらりと揺れ、その隙間からやはり先ほど見た鋭いさっきじみた眼光がぎらぎらと黒光りしている。

 逃げなければ。
 逃げなければ。
 何が何でも、逃げなきゃならない、ココから――


バンッ!!バンッ!!



――あ。






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