□ 夏の桜 □

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07:とある少年の不遇な幸福

 何時間眠っていたかは分からない。
 だけど気付いたら起きていたときは明るかったそこも少し光が弱くなったように思える。
 夕方だろうか、夏の日は長いから時間が良く分からない。
 電気、電気はどこだろうと手探りでベッドサイドにあるはずだったランプを探る。
 だけどタオルケットから手が伸びでちゃんと空を切るはずだった手が畳の独特に質感に触れて、ここが僕の部屋でないことを悟らせた。

 あ……。

 そうだ、僕はスオウ アズサに倒れていたところを拾われたんだっけな。
 頭をぼりぼりかいてみる。
 落ちるフケすら見えない暗闇。
 電気はどこだ。
 まだ覚醒しきっていない頭で周りを見渡した。
 立ち上がってその和室の頭上にある蛍光灯の紐を引っ張った。
 だけど何度引っ張っても電機はつかない。
 主電源でも入ってないのか?
 今更のそのそ出ていって僕を助けてくれたスオウ アズサやかくまってくれたタジマ カホに迷惑をかけることはしたくない。
どこかこんな風にしてくれた厚意に対する謝恩が僕なりにしたかったのだ。
 だからもう迷惑はかけたくない。
 僕は眠気を振り払ってタオルケットをたたみ始めた。


 気持ちが少し高揚していたことは間違いない。
 今までクラスは敵ばかりだと思っていた。
 だけど助けられたときスオウ アズサに言われた言葉――『さて、気分はどうだイズモ。大丈夫か?』――のうちに自分を心配してくれる言葉が一つでも入っていたことに気付いてしまったのだ。
 僕は、心配されていた。
 僕はまだ見放されていなかったんだ!
 眠りにつくときまではそのことにちっとも気付かず、ただ本能がままに死にたいだとか眠いだとか思っていた自分を恥じた。

 スオウ アズサにこのプログラムのルールを聞くんだ。
 そして最後にちゃんとお礼を言おう。
 ルールを教えてくれたこと、助けてくれたこと、そして、僕を心配してくれたことに。
 早速ルールを聞いて記録するために地図や筆記用具――もう取り出すのすら面倒で、いち早くスオウ アズサを見たいから、僕は支給された荷物ごと胸に抱えて彼女らの気配がある隣の部屋に通ずるふすまに手を掛けた。

がしゃんっ!!

「ちょっと、ままま待てカホ! 止めろよ!」
 皿が何枚も割れるような音がしたのとほとんど同時に、スオウアズサの叫び声が聞こえる。
 何かあったのか?
 そう考える間もなくもっと甲高い声が僕の鼓膜を貫いた。
「何でよ! だって私があんなに言ってるのに……! だめだよ、イズモ君殺しちゃった方がいいじゃない?!」

 え、なに?
 イズモクンコロシチャッタホウガイイジャナイ?


 心持破れた鼓膜をスルーして、タジマ カホの声の情報が僕の脳に直接伝わった。
 あまりにダイレクトすぎて、それがどんな意味を示しているのかわからなかった。
「止めろよカホ! そ……それ、下ろせよ。物騒だろ? 分かった、話し合おう。もっと違うやり方があるはずだ」
 狂乱したタジマカホをなだめるように少し猫なで声になったスオウアズサの声が続いて聞こえる。
 僕は怖くなってふすまの前に立ち尽くした。
 ふすまを一枚挟んだ向こうにどんな世界が広がっているのかわからない。

 だけど不思議と手がふすまにかかり、少しだけ開いてしまった。
 さながら中をのぞかないでくださいといわれた翁だ。
 中をのぞいてみれば鶴が布を織っている姿を見るか、それともイザナミが醜い姿で魑魅魍魎に喰われている姿をみるか――
「ひっ」
 少なくとも、ふすまを40センチほど開けた先にあった世界は、僕が想像した2つの選択肢のうちの後者だったことには間違いない。
「イズモ?!」
 僕の驚いた声がよっぽど大きかったらしく、こちらに背を向けてたっていたはずのスオウ アズサがとっさに振り向き僕の名を呼んだ。
 彼女の向こう、テーブルを挟んだ向こうに立つのは――包丁を持ったタジマ カホ!!


「危ないスオウさん!!」
 野太くて、いかにもデブが発しそうな醜い声がその家いっぱいに広がった。
 叫び声もむなしく空に散り、呼応するように真っ赤な血の粒が中を舞った。
「ホラやっぱり来ちゃったじゃない!! あいつはあたしたちを殺そうとしてるのよ?! ねえアズサちゃん、何で分かってくれないの?! だってアズサちゃんいっつも私の意見には頷いてくれてたじゃない! どうしたの? どうしたって言うの? イズモ君とグルになって私を殺す気だったの?! そうなのねえ?! だったらどうして私に声をかけたの? 嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない!! 殺されるぐらいだったらいっそ――」
 言葉のマシンガンが一旦そこで切れた。
 僕は今、夢を見ているのか?
 ああ、そうあろうな、なんたってありえもしない幸せな家族計画の夢を見るくらいだ。
 このスプラッタ性のある夢ぐらい見たっておかしくない。
 フルカラーでグロテスク度飛躍的にアップ?ハハ、笑えないよ。

「殺してやるうううう!!」
 タジマ カホの振り上げた包丁が、僕のほうを振り向いて切りつけられたまま固まっていたスオウアズサのほっそりしたうなじを貫通した。
 ぐしゅううっ、という勢いよく吹き出る噴水と見間違えるような寮の血がスオウ アズサの首から吹き出る。


 あ……ああ……ああああ……。
 バタリ、と細長い身体を床に投げ出して、スオウ アズサは何回か痙攣を起こしたあと、とうとう動かなくなってしまった。
 胸に抱えていたバッグをこれでもかというくらい握り締めた。
――エージくん、ぼく、しにたくないよ……。
 血だ、血だ、血。
 ショーヘイ君と同じ色の血が……!!
 ショーヘイ君は僕の目の前で四肢をめちゃくちゃな方向に折って死んだ。
 スオウ アズサは……首を包丁で貫かれて、まるで閻魔が白昼夢にでてきてしまったかのような形相で死んだ。
 僕を、助けてくれた人が。
 僕を助けてくれたスオウアズサが、死んだ、死んだ、死んだ。
「後は君だけだよ……イズモ君……」
 殺される前に、殺してやる?
「ひゃはははははは!!! 死んじゃええ!!」
 殺される前に――?
 身体が硬直する前に、脱兎のごとく振り向いては言ってきた縁側の扉を開けようとした。
 カーテンを引き裂くように開き、扉に手をかける、だけど開かなかった。
 そうだ、ここに入ってきたとき確かスオウ アズサが鍵をかけたはずだ――!
 背後からヒュウッ、という細い音がした。ガッシャン!という音がして僕の顔のすぐ横にあったガラスが砕け散った。
「ひゃははあ!!」
 違う、あいつはタジマ カホじゃない!眼鏡をかけた鬼だ!鬼じゃなければヤマンバだ!!
 振り上げた包丁が間一髪で僕ではなく窓ガラスに刺さり、ガラスは割れた。
 割れたのはいいけれど鍵が開かなければどうしようもない。
 どうしようもない。
 タジマ カホは高笑いをしながら僕に包丁を向けた。
 コロサレルクライナラ、コロシテヤル?
 気付いた時には、タジマ カホの小さな身体に僕のでかい図体が捨て身のタックルをかましていた。
 予想外の威力があったようで、彼女の身体は吹っ飛ぶ。
 僕は無我夢中で開錠し、外へと飛び出した。
 次の瞬間足の裏に石が突き刺さったような感触がした。
 靴は、あ、そうだ、確か外から見られないようにと縁側の中に入れておいたはずだ!
 慌てて後ろを振り向く。
 だけど靴があろう場所には既にタジマ カホの姿があった。彼女もまた靴を吐いていない。
 逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ!!
 走るというよりむしろボヨンボヨンと転がると表現したほうがいいことくらい自分でも分かっていた。
 だけど不幸中の幸いなことは、僕も足が遅ければタジマ カホも足が遅いという事だ。
 だけど今はどうしても彼女を撒かなきゃいけない。
 僕は必死になって竹やぶを走り続けた。
 あの「ひゃはははは!!」という狂った声が聞こえなくなるまで、ひたすら走った。



 走りながらふと考えた。
 そして後ろを振り返る。
 やはり大口を開けて追いかけてくるタジマ カホの姿が見えた。
 ああ、狂っているのは、誰なんだ。





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