□ 夏の桜 □

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06:とある少年の夢幻

『英二、英二。ダメだろそんなところで寝てちゃ。風邪引くぞ?』
 うう……なんだよ兄ちゃん、起こさないでよ……。
『そうよ、お兄ちゃんの言う通り。テレビが面白いのも分かるけどそろそろお風呂入って寝なさいな。明日も学校でしょ?』
『そうか、英二はまだ学校か』
 兄ちゃんはまだ夏休みなのかぁ、いいなぁ大学生って。楽そうだよね。
『馬鹿言え、医学部は何だかんだで大変なんだよ。夏休み返上で研修してきたんだからいいの!』
 僕も早く大学生になりたいなぁー。兄ちゃんみたいな医学部じゃなくって、もっと休みがいっぱいある大学生になりたい!
『いやだわ英二、そんな暇な大学生は所詮そこまでよ?お父さんからも何か言ってあげてくださいよ』
『ははは、英二が将来多忙きわまっている姿も面白いけどなぁ』
 なんだよお父さん、それって僕がのんびり屋とでもいいたいの?
『それが英二のいいところだからな』
 のんびり屋って、長所なのかなぁ……。
――起きて!
 だって兄ちゃんだって何だかんだで家に帰ってきたらぐだぐだしてるし……。
――起きてイズモ!
『こら、兄ちゃんを馬鹿にすんなよ!』
 アハハ!痛いよ、痛いよ兄ちゃんギブギブ!


「イズモ!!」


 大地震が起きたのかと勘違いするような身体の揺れように、僕は急いで目を開けた。
 急に辺りが白けてきて目を醒ましたのだな、と客観的な視線から僕は自分のことを見た。
 あれ?僕、今何か夢を見ていたような気がする……なんだったっけ。
 まぁいっか……夢だし。
「あー良かった、死んだのかと思ったぜ……」
 目を開けてみればそこには長身でショートカットのスオウ アズサが膝をついて僕の顔を覗き込んでいた。
 僕の太った身体と本当に対照的な痩せ型の顔では細くて吊りあがった眉が、今日は心配そうにたれていた。
「あ……スッ、スオウさん?」
 僕はがばっと起き上がると周りをキョロキョロと見渡した。
 見覚えのない竹やぶ、近くには民家だ。

「何でお前がこんなところに倒れてんだよ?」
 決してぶっきらぼうなわけではないが、男よりも男らしい口調で話すのはいつものことだ。
 僕とはまるで別世界に住んでいると思っていた人が、今は目の前にいる。
 だけど今は投げかけられた疑問をそっくりそのまま一字一句違わずバットで打ち返してやりたかった。
 僕は……どうしてここにいるんだっけ。

「答えられないのか?」
 怪訝そうに僕を見るとスオウアズサは眉根をひそめた。
「……ごめんなさい、わからないんです……ボーっとしてたのかもしれない……し」
「おう、そうか。じゃあこっち来いよ」
 そのあっけない反応に僕は口をあんぐりあけたまま呆けていた。
 予想していたのは大きな雷を食らうか懐疑的な眼で見られるのかどちらかだと思っていたからだ。
 予想外の展開に僕はただただ戸惑うしか出来なかった。
「ったく……カホといいイズモといい……随分プレッシャーに弱い人が多すぎるんだよな」
 愚痴るようにぶつぶつと呟くスオウアズサの背中を黙ってみていたら急に振り返られて、何やってんだよさっさと来いよと怒られた。
 スオウ アズサはうちの中学のバレー部の部長だ。
 バレー部は県大会でも屈指の成績をおさめているらしい。
だからこういうプレッシャーのかかる場面でもちっともそういう素振りを見せないのかな、と一瞬思った。

 僕は立ち上がると別のことを考えた。
 カホといいイズモといい?
 僕は頭の中にある人名からカホという単語を引っ張り出した。
 タジマ カホ
 この人に該当した。
 ぼんやりとした輪郭で形成されるタジマカホについての情報をかき集めてみたけれど、眼鏡をかけた手芸部の子、という事しか思い出せなかった。


「おっと、入る前にちょっと失礼」
 スオウ アズサは僕が胸に抱えていたバッグをひょいとさらうと、チャックを開けて中をまさぐった。
 中から出てきたのは地図とコンパス、筆記用具、名簿、水の入ったペットポトル、パン、それからカッターナイフだ。
 僕はさっき地図と筆記用具と名簿を必死になって漁ったが、それ以外のものは初のお目見えだった。
 特にパンや水が入っていることなどちっとも知らなかった。
 だから重かったのか、とひとり納得した。

「悪いけど、身体調べさせてもらうよ」
 まるで入国管理員みたいだ。
 スオウ アズサは腰の部分などを入念に叩いて何もないことを確認すると、近くの民家の縁側に回った。
「お前、確かルールをあの変な男から聞いてないんだったよな?」
 トン、トン、トン、と縁側の窓ガラスを3回叩き、数秒置いてから今度は1回叩いた。
 そんな動作をしながら彼女は僕に質問をしてくる。
「あ……は、はい」
 まともに喋ったことがないから、なぜか恐縮してしまう部分があった。
「じゃああたしがあとで説明してやるよ」
「あ、すみません」
 僕が謝ったのと同時に遮光カーテンが開いてガラガラ、と音を立てて縁側の窓が開いた。


「ただいま、カホ。イズモ助けてきた」
「あ、は、はあい」
 さながら強行突破のごとくスオウアズサは僕の背を押して畳の部屋に連れ込んだ。
 彼女はすぐに鍵を閉めカーテンを引いた。
「さて、気分はどうだイズモ。大丈夫か?」
 さすがに倒れていた僕のことだから元気なわけないのだが、僕は無理して大丈夫です、と答えた。
 原因も分からないのに倒れていたなんて、なんだか疑われそうで嫌だな。
「地べたで寝てるよりこっちのほうがいいだろ。今布団出してやるよ、ゆっくり休んでけ。起きたらルールとか説明してやるからよ」
 スオウ アズサはニコリと笑って立ち上がると、まるで自分の家かのように無遠慮にふすまを開けて布団を引っ張り出した。
 だけどその厚意がありがたいと思った。
 しかれた布団を見ると、やはり眠気がうかがえる。
 寝てないわけではないのに、どうしてか、睡眠欲が頭を占める。
 ありがとうございますと礼を述べたあと、僕は吸い込まれるように布団にもぐった。


 夢を――見た。
 布団の中で目を瞑っているとき、急にさっき見た夢を思い出した。
 優しいお父さん、元気なお母さん、面白い兄さん。

 夢見た家庭。

 僕は掛け布団を頭までかけた。
 人の気配がしないことを確認すると、嗚咽を殺すようにして泣いた。


 皆が僕を必要としていないように
 そんなもの今更必要としていない
 だけどなぜだろう
 どうして涙が出るの?

 死にたい死にたい死にたい。
 こんな弱虫、何で生きてるんだよ。





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