□ 夏の桜 □

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03:とある少年の過去の記憶

 私語をすると死の制裁とやらを受けるから、誰も口を開こうとしなかった。
 だけど僕が嘔吐をしたことについては、口こそは開かなかったけれど誰もがこう口の中で喋っていた。
 ――だからキモいって言われるんだよ――
 クラスのひとりも漏れず僕のことを軽蔑した目で見ていた。

 だけど不思議だ。
 いつもはその冷たい視線が怖くて、ひとり教室の隅っこで息を潜めていたのに、今日に限っての僕はもう開き直っている。
 いや、違う。
 そんなちっぽけなことが急にどうでもよくなったのかもしれない。

 僕は席に着いたあと、ちらりとヒタチ リョウタの死体があるほうを見やった。
 既に先ほど兵士A、Bと呼ばれた大柄の男が分厚そうなオレンジ色の袋を手にして固くなったヒタチ リョウタの身体をその袋に詰めている。
 ジッパーがあげられ撤去された後は、そこは完全にヒタチ リョウタが“居た”場所として血で祀り上げられてしまった聖域のようだった。

 すべて胃の内容物を吐き出してしまったのに、まだ胃の中に何かがいる気がした。
 ドクン、ドクンとそれは大きく脈を打つ。
 まるでもう一人誰か違う人がいるようだ。
 錯覚――そうだきっと錯覚に違いない。疲れているんだ。そう、僕は憑かれている。……ツカレテイル?
 いやいや僕は疲れているんだ。

――どうして、どうして。

 ややあって僕は頭をもたげ、かすみがかる視界を上にずらした。
 ヒ イヅルという名前であろうスラックス男が黒板に張った地図を用いて何かを説明している。
 まるで社会の地理の勉強のようだ。
 ああ、僕は地図の縮尺の計算が未だに出来ない。


 とたんにキーンと甲高い音が耳朶に触れた。そのうちにその音はまるでクラッシックコンサートを聞いているように音自体が膨張し、僕を包み始めた。
 聞こえない。
 ヒ イヅルの声が聞こえない。
 ただそこにあるのは音。それだけ。
 それだけ?

――エージくん、ぼく、しにたくないよ……。

 違う違う違う。
 僕がやったんじゃない!
 アレは僕がやったんじゃない!!
 ねえどうしてだいショーヘイ君。
 どうして君は今更僕の前に現れるんだい?

 ……突然僕は白昼夢を見た。
 急にジェットコースターが後ろにスタートするのと同じように、背中から何かに引っ張られ、そのままで過去の時間に引っ張られたように思えたのだ。

 その子は小学校にも上がらないぐらいの小さな男の子。
 僕と同じくらいの歳の男の子。
 坊っちゃん刈りに大きな目を潤ませ、いつもカラフルなカッターシャツに紺色のサスペンダーをつけていた男の子。
 あのときより前までは、触れれば確かに肌の感触がした。
 あたたかい。
 だけどそのおとこのこはつめたくなった。

キキキキーッ!!!どんっ……

――ねえ、エージ君。君が僕のことを殺したんでしょ?

 ありもしない話を捏造しないでくれ。
 僕はいまだ後ろに猛スピードでかけていく自分自身の頭に訴えかけた。


 僕が小さい頃……彼、ショーヘイ君は同じマンションの同じ階に住んでいた友達だった。
 友達、だった。
 ショーヘイ君は死んだ。
 僕と鬼ごっこをしていたとき、トラックに轢かれて死んだ。
 僕がそのとき親にきつく言われていたにもかかわらず、交通量の多い道路に出たから、僕を追いかけてきたショーヘイ君が事故にあって死んでしまった。
 あのときのことはよく覚えている。
 振り向いた瞬間、それ、は、起こったからだ。

キキキキーッ!!!どんっ……
 4トントラックに小さな身体がいとも容易く吹き飛ばされた。
 四肢をぐにゃりと曲げたまま脇道に振り落とされたショーヘイ君の身体からは、やはりヒタチ リョウタのように鮮血がほとばしっていた。
 白いカッターシャツに場違いなほど綺麗な赤が染まる。
 情景もさながら音まで覚えているとは僕もたいした記憶能力の持ち主なのかもしれない。
 僕はそこで身震いをした。
 今現在僕の視界の端に映る床に彩られた赤の色がそれを色濃く思い出させたからだ。

 ああ、僕のせいだ。

 僕のせいでショーヘイ君が死んだ。
 怖い、怖い怖い怖い怖い!
 このプログラムで僕もあんなふうに死ぬの?!
 嘘だろ、誰か嘘だって言ってくれよ、冗談じゃないよ!!

――エージ君、また一緒に遊ぼうよ。
 うるさいうるさいうるさいうるさい!!
 捏造されたショーヘイ君の残像なんてもうまっぴらだ!
 ショーヘイ君が僕を呼んでいる。
 あの世から僕のことを呼んでいる。
 僕を殺そうと呼んでいる……!?

「イズモエイジ!!」
「はっ……ひゃい!!」
 突然大声で名前を呼ばれたため、僕はよく出来た妄想とも取れる物思いからようやく生還した。
 しかしその生還した先も、恐怖なのだけれども。

「一番はじめの出発者は君からだ。さあ、行きたまえ」
 ヒ イヅルが偉そうに指示した。
 僕は彼の言うように迅速な行動が昔から出来ないから、混乱するしかなかった。
 気がつけば机の上には鉛筆と白紙が置いてある。
 何だこれ、何に使うべきなのか?
 隣の席の人を見た。
 その人の机の上にある上には何かも字が書いてあった。
 小さすぎて見えなかったが。


「え、えっと……」
「君は話を聞いていなかったのか?もうルールはすべて説明し終わった。君からの出発なのだよ」
「え? ルールなんて……」
「話を聞いていなかったのか?!」
 ヒ イヅルは細い目をひん剥いて僕を睨みつけた。
 射すくめられ恐ろしさのあまり僕は全身の毛という毛が逆立った。
「あ……あの……もう一度……」
「私にあの説明をもう一度しろというのかね君は! 君にそんな権限はない! 私に文句をつけることはもちろん、話を聞いていないなど言語道断である!」
 そのあまりの剣幕につい肩をすぼめた。
「君はこのプログラムがどういう状況下において施行されているのか分かっているのか? 殺し合いだ! その殺し合いにおいてルールは絶対の秩序! 守らなければ即刻死に至る! 上官の命令を聞かない兵士が犬死するのと同じだ! しかし私は二度と同じことは説明せぬと事前に忠告しておいた! さればせいぜい外で誰かに会ったときにすべてのルールを聞くことだな!」
 ほとんどついばまれるようにして兵士に無理矢理連れて行かれ、前の入り口のドアのところで大きめのリュックのようなものを投げられた。
 ああ、僕はキャッチボールすら出来ないのに、ましてこんな大きなものなんて一発で取れるはずがない。どすんと地面に落ちたリュックを拾い上げ、胸に抱えた。

 入り口のところで振り返る。クラス中の視線が僕に集まっていた。
皆、そろいも揃って氷のネックレスをつけている。
 ペアルック?はは、笑えない。
 ふと、真ん中のあたりに座っていたいじめっ子グループのエチゼン ミユキと目があった。茶色に染まった髪の毛を頭の高い位置でポニーテールにしている。
 彼女はすごく、本当にものすごく満足したような表情で僕を見る。
『説明聞いてないなんて、馬鹿じゃないの?』
 そうだ、これは殺し合いなんだっけ?
 そんな姿、もう二度と見れなくなるかもしれない。
 僕は何も言わず廊下を一目散に駆けていった。


 まずはルールを聞かなきゃいけない。
 プログラムという存在は知っているけれど、それがどういうルールの元で実施されているのか僕は知らないのだ。
 ルールを知らないことが命取りになる。
 そうしたら僕は、ショーヘイ君やヒタチリョウタみたいに死んでしまうのか?
 いやだ、いやだいやだいやだ!!
 建物を出た先にあった庭の木の陰に無我夢中で飛び込んだ。


 鉛色の空が、くぐもった声で僕を呼んだ気がした。





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