□ 夏の桜 □

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02:とある少年のレスポワール

 言葉は時に暴力だ。
 ヤマシロ コウジが僕にいつもボディーブローをかますように、時として言葉とは痛みを生じる……と以前本で読んだ。
 いつも陰で僕を笑う声や、おおっぴらに僕をけなす声がそれなりの痛みを生じさせるとするのなら、今聞こえてきた「君らはプログラム――第68番プログラムに選ばれた!名誉と共に散るがいい!」と言う言葉は刃物に相当するんじゃないか?
 痛い。
 怖い。


 僕の席は一番後ろの一番窓際の席だ。
 それなのに8:2のスラックス男の細い目が目の前にあるような錯覚を感じる。
 なんで?
 感じたことのない圧迫感に襲われた。
 僕は無意識のうちに自分の手をつかんだ。
 肌の感触。
 ま だ 、 温 か い 。
 次に氷のネックレスを触った。
 冷たい。
 僕はこの状況を上手く飲み込めなかった。
 プログラム?冷たい首輪?名誉と共に散れ?
 一体全体、何のことなんだ。
 僕より外の世界で、何が起こっているのかさっぱり見当がつかなかった。
 興味もなかった。
 冗談なら早く家に帰らせてくれ。
 だって僕は、今日、学校を休んだんだぞ?

 パンッ……

 そんな小爆発のような音がしたのと同時に僕は現実世界に引き戻された。
 どうやら僕はいつのまにか呆けていたらしい。
 あんぐりと開いたままの口がだらしなくそのままになっていた。
 音の正体が何かと判明する前に、その音に続いて誰のものかわからない女子の悲鳴が続いた。
 何なんだ。
 なんなんだよホント!

 ふと、鉄の匂いがした。

 不意に頭を鉄パイプで殴られたような幻覚を見る。
 あの、衝撃のあまり目の前が真っ白になるアレだ。
 僕は立ち上がって人ごみの出来ているほうへと視線を動かした。
 僕の突っ伏していた机と同じ形の机がたくさん並んでいる。
 その中央付近に人だかりは出来ていた。
「静粛に静粛に! 我々はルール説明の進行を妨害するものは、なんびとたりとも許すまじと述べたはずだ! これ以降私語をしたものには彼同様死の制裁を受けてもらう!」
 何が起きたのか分からなかったが、空気が……冷たくなった。

 死の制裁?どういう事だ?っていうか本当に何が起こったんだ?さっきの音はなんだったんだよ?
 僕は……ああ本当にすっかり自分の世界に入り浸っていたらしい。
 今さっき周りで何が起きているのかも分からなかった。
 ただ、大きな音がして、人だかりができた。
 それだけ。

 僕は迷彩柄の大きな男がその人だかりの中に入り、クラスメートを散らせている光景をぼんやり見ていた。
 そういえば彼らは誰だっけ?
 数人で生徒をまたもとの席に座らせる作業をしていた。
 それは見る限りいかにも機械的で、ベルトコンベアーで運ばれてきた材料を無意識のうちに組み立てて行く要領と同じだ。
 前方正面にある黒板に大きな地図が張ってあり、その横に縦文字で「ヒ イヅル」と記されていた。

 ヒ……イヅル?変な文字の羅列だ。アレは何を意味しているんだろう?としばらく考えたが、なんとなくあの前で偉そうに喋っているスラックス男のことだと気付いた。
「座れ」
 僕はいつの間にか迷彩服の兵士さんらしき人に囲まれていた。
 どうやら黒板を見つめたまま立ちんぼしていたらしい。
 座りたいのだが周りの威圧感が邪魔をして身体が動かない。
 ほとんど空気椅子のような座り心地の悪い格好でかがみこんだ。
「……ひっ……」
 僕は、そのとき、たしかに、見たのだ。
「うひゃあああああ!!!」

 あの、ヒタチ リョウタが額から血を流して死んでいるのを!!

「ああ、イズモ エイジくん、今しがた私が私語は慎むよう忠告したばかりであろうが! 級友が亡くなり驚いているのは分かるが、私は迅速なプログラムの進行を切望しているので、指示通りに椅子に座って静かにして欲しいのだが」
 ヒタチ リョウタが死んでいる。
 あのリーダーシップがあって何事にもハキハキ喋り、意味も無く僕をクラスのイジメから救おうとしていたヒタチ リョウタが。
 し ん だ 。
 小学校高学年の頃、クラスで一人だけ最後まで出来なかった逆上がりを練習したあとの手の匂いがもう一度僕の鼻腔を過激に刺す。
 そうだ僕は、逆上がりが未だに出来ない。
 あの鉄の匂いが、今では。

――ショーヘイくん!しなないで!――

 突如として胃から何かが込み上げてきた。
 とっさに口を押えるがかなわず、僕は吐瀉物を机の上に吐き出した。
 薄いクリーム色から少しオレンジがかった吐瀉物が、混濁した胃から出てこれて清々したと言わんばかりに汚臭を漂わし、僕の制服にも少しこびりつく。
「しょうがないな。兵士A、兵士B、その吐瀉物を即急に片付けてくれないか?」
「はっ」
「了解しました」
 僕を取り囲んでいた兵士はすぐさま機敏な行動でゴミ袋と水を用意し、僕に水を与え口の中をゆすぐよう指示して、吐いたものをゴム手袋で掬い取り、残りはトイレットペーパーでふき取った。
 僕は、ただ呆然としてその作業が行われるのを見ているしかできなかった。
  見たことがある。
 視線をいまや二度と語らぬ身体となってしまったヒタチ リョウタへとずらした。
  僕は血を流して死んでいる人を見たことがある。
 汚物で汚れた掌を口に当てた。
 否が応でも掌のにおいが鼻を突く。
 血が出ているわけでもないのに、その手から血のにおいがした。

――ショーヘイくん!しなないで!――

 耳の奥のほうで僕自身の声がした。
 僕は、叫んでいた。
 誰に向かって?
 そんなの、自分がよく知ってるくせに。

 吐瀉物をぶちまけたことによって、僕はクラス中の侮蔑の視線を買って出たようなものだった。
 誰もが僕を見る。
 誰もが僕を軽蔑する。
 ああ、どんなに嫌われてもいい。
 僕は“あんなふうになる”のは嫌だ。
 “あんなふうになる”のが怖い。



 ぼくは、しにたくない。





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