01:未来へつながる過去の話を少しだけ、





 多分、それは小学校3年生ぐらいの頃の記憶。

 ハルヒサとミョーコ、モトキは3人だけの秘密基地を造るために、誰も近寄らないような山奥で見つけた土管のところにダンボールや木々を多く持ち寄って集まった。曇りでないはずなのにどこか薄暗いその雑木林は、幼くて好奇心満点な彼らにとっては神秘的で永遠を感じさせる神聖な場所に等しかった。
「ねえねえ、見て元基、悠久」
 ミョーコが手招きをして土管に2人を呼び寄せた。ちょうど太い木を使って土管に傘を作る作業をしていた2人は、面倒くさそうに作業の手を休め、ミョーコの呼び寄せる土管のほうへと回り込んだ。
「これ、見て!」
 指差された先をモトキは糸目をより一層細めてじっと見た。長めに垂らされた前髪を書き上げ、物珍しそうに見ているようにも見えなくはない。その結果、何もわからないというように首をかしげて「いたずら書きでしょ? 別に不思議じゃなくない?」と逆にミョーコに聞き返した。
「元基、澪子の細かいのって、今にはじまったことじゃないじゃん」
 付け加えるようにして、当時から頭ひとつ分2人より抜きん出ていたハルヒサが腰を折り曲げて土管の落書きを見た。本当に、何の変哲もない白いチョークの落書き。土管自体が結構古そうな石のものなのに、この落書きは削られることもなく、白く残り続けている。まるでそこに書いてある物が未来永劫何かを彼らに訴えかけているかのように。しかし幼い彼らは、意味さえ知らずにその落書きを神妙な面持ちで凝視し続けた。


――あなたは今、幸せですか?


「夢がないなぁ悠久は。じゃあ悠久は今、幸せなの?」
「え、俺ェ? 別に……」
「俺は幸せだと思うよ。だって澪子と悠久と遊んでるときが一番楽しいから!」
「あ、澪子もそう思う!」
「えーじゃあ俺もそれでいいや」
「何か、テキトーだね、悠久」
「それでいいんじゃん?」
「そんなもんなのかなぁー? ねえ、元基」

 とりあえずその落書きはおいといて、それぞれ秘密基地の造営へと手をすすめていった。
 晴れでもなく、雨でもないその日。辺りは、薄暗かった。それでも彼ら3人は、明るいと思っていた。





――時は流れ、中学3年生になった彼ら。

「明日から修学旅行だーッ!! やったぁー!!」
 大きく飛び上がって叫んだのはミョーコ。後ろでひとつに結んだ髪の毛が飛んだのとほぼ同時にさらさらと揺れる。彼女は目を細めて笑ったまま傘を指して後ろを歩くモトキとハルヒサの方へ振り向いた。
 明日はいよいよ修学旅行だ。行き先は京都と奈良になり、クラスは別々だがそれぞれの班で修学旅行を満喫するであろう3人は、明日に出発する修学旅行のことを思いながら雨の中の岐路についていた。

「俺、マジだりぃ。サボりたい」
 ぐんと背も伸びて、やはりモトキやミョーコより頭ひとつ分大きくなった悠久は、だぼついてだらしなく着こなされたワイシャツの襟口をパタパタと扇ぎながら苦言を吐いた。つりあがった眉毛の根を潜めて、彼は本当に不服そうに声を荒げる。
「2組は皆、悠久のこと怖がってるんでしょ? 班行動ホントに大丈夫?」
 5組のモトキや6組のミョーコはそれぞれ仲のいい友達とグループを作って京都の班行動を楽しむ予定だが、暴力的でかつ排他的な中学生に育ったハルヒサは2組で今、最も浮いた存在となっている。もとよりハルヒサはこのモトキとミョーコ以外友達と呼べる人は誰一人としておらず、したがってクラスに帰ってもだんまりを決め込んで相手を睨むしかできないので、誰からも声を掛けられなかった。それでも班は組まなければならないため、アミダくじの結果、ある班に組み入れられた。もちろん彼が納得するはずもないが、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、他の班員は何も言わなかった。


「クラスごとじゃなければ、あたしたちが組んであげたんだけどね。この機会に仲良くなっちゃえば? あたしもさ、結構この修学旅行の班で仲良くなった子とか多いよ?」
「馬鹿だなぁ、澪子。悠久はそういうのが苦手なんだよ。無理強いしちゃダメでしょ?」
「むっ、そうか……」
 ハルヒサは、何も言わなかった。


「それより俺、京都行ったら清水寺のところで八つ橋食いたいなぁ」
「あっ、あたしもあたしも! 先輩がねえ、あそこはイイって言ってた!」
「太るぞ、澪子」
「うげっ。悠久に言われたくないもん!」
「太るよ? 澪子」
「もう! 元基まで揚げ足取らないでよ!」
 傘を掴んだまま小さく下を出して2人にささやかな反抗をするミョーコ。くるりと振り向いて田んぼ道を走っていった。

「あんまり走ると、滑って転ぶよー」
 舗装もされていないガタガタの田んぼ道。その向こう側ほどに数軒ある小ぢんまりとした家が彼らの家だ。ミョーコの家もハルヒサの家もモトキの家も、目と鼻の先にある。いわゆる幼馴染の関係にある彼らは、この孤立した集落の限られた生徒だった。
「きゃっ!!」
 モトキが言い終わるのが早いか、ミョーコが短く叫ぶのが早いか。ミョーコは深くできていた水溜りの中に白い学校指定の運動靴をぼっちゃり沈めていた。言わんこっちゃない、とモトキとハルヒサの苦笑を買う。


「バーカ!」
 本当に馬鹿にしたような表情でハルヒサはミョーコの汚れた膝丈スカートを指差した。「ちょー汚ねえし」と、不器用そうな微笑み方だけれども、ハルヒサはニヤニヤと笑った。
「うるさーい! ニヤニヤすんな馬鹿悠久!」
「いや……でも……それは、ちょっと……」
「笑い堪えなくていいから! 笑ってくれたほうがいっそ清々しいよ元基!」
 頬を膨らませて怒るミョーコにハルヒサとモトキは笑いを堪えられなかったらしく、同時に空気を振るわせるほど大笑いをした。

「ウケるー!! ほんっと澪子って馬鹿!」
「ちげーよ元基、コイツはただのアホだ、馬鹿以下!」
「酷いよ! 何であたしばっか責められなきゃならないわけ?!」
 怒りながらもだんだんと笑顔になっていくミョーコは、そのあと2人に混じって笑い出した。泥にまみれたスカートは、家に帰って洗ってもらおう。


「あ! 元基、悠久! あの約束忘れてないよね?」
 まだ笑いが止まらないのか、腹を抱えつつ肩を揺らしている元基が「あの約束?」と糸目ににじんだ涙をぬぐいながら聞き返した。
「覚えてるぜ。他の2人にお土産買ってこようっていう話だろ?」
「そうそう! さっすが悠久!」ミョーコはジャンプしてハルヒサの短髪を叩いた。彼は釣り目をギンと光らせて「近寄るな泥だらけ!」と突っ込んだ。それに反応してまたモトキが笑い出す。彼は笑い上戸だった。
「明日とか、ちゃんと忘れないで買ってきてね? あたし楽しみにしてるから! あたし硬い八橋がいいなぁー」
「何さり気にアピールしてるんだよ。お前なんか音羽の滝の水で十分だ。いや、京都マックの紙ナプキンでも十分」
「何その価値の下がりようは?!」
「っ……!! 紙ナプキンとか……!」
「笑うな元基ィィィ!」





 普通だった。そのときまでは。
 何もかも普通すぎて
 幸せなんて定義が、
 どんな意味を持つかすら忘れていた。





あなたは今、幸せですか?












inserted by FC2 system